AX
伊坂幸太郎「AX」を読みました。
おもしろかったです。
恐妻家の殺し屋の話。
家族の話。
伊坂さんが描く家族はどうしてこんなにあたたかいんだろう。
冷静沈着な殺し屋の唯一恐れる存在が妻。
そんな夫婦のやりとりがこれでもかと語られる。
夫の妻に対する涙ぐましい努力(妻への愛ゆえの)が淡々とした筆致で表現されていて、悲哀とおかしみを余計に誘う。
ただ、それだけでは終わらない。
あ~このままこんな生活が続いていくのも幸せなんだろうな。
コミカルでおもしろいな~なんて思っていたら、後半の展開に見事にやられた。
家族愛。一言ではとても表すことは出来ないけれど家族愛、なんだと思う。
なによりすごいのは、何かとんでもないことが起こっているわけではないところ。
いや起きてはいるのだけれど、殺し屋という仕事から想像するとんでもないことは起きていないわけで。
それなのにこんなに引き込まれるのは、構成やら何やらがとんでもなく秀逸なのだろう。
伊坂さんの手のひらの上で転がされているような気持ちになった。
もちろん良い意味で。
殺し屋シリーズは3作目だそうで、前2作読んでなくてもこれだけおもしろいなら、読んでいたらもっともっと楽しかったんだろうなと想像に難くない。
読んでる人が少しうらやましいけれど、読むかどうかはまた別の話。
映像化されるだろうなぁ。
父親とか
ジェーン・スー「生きるとか死ぬとか父親とか」読了。
おもしろかった。
スーさんと父親との交流と現在過去未来。交流と言うには軽すぎるかもしれないが。
まず何よりスーさんのお父さんがとても魅力的。お洒落で洒脱で飄々としていて誰からも(特に女性から)好かれるナイスミドル。
ただし端から覗き見る分には。
身内にいると楽しいんだけど大変な人なんだろうなと思う。特に娘の立場でこの父親を許せるの?と思ってしまう。
スーさんは許した。というか死なば諸共というような心持ちでこの本を書いている気がする。
なんかもう覚悟が違う。
スーさんが松之丞さんとの対談で「やっかいな男が好き」と発言したルーツがここにある。
これまでの著作では、ざっくばらんに明け透けに女友達との会話を楽しむような文章だったけれど、
今回はどこか遠慮がちで、常に冷静でいなければと考えてるような文章で、それがそのままスーさんとお父さんの関係性を表しているように感じた。
前半はスーさんが父親との交流を通して、父の半生、親類一同・家族への理解を深めていく。
後半は父と母。そして娘。この本の核心部分であろう三人の過去が紐解かれていく。
その構成も巧み。
いつも、なぜスーさんは種々雑多な相談に、あんなに的確にアドバイスが出来るんだろうと感心していたが、
この本を読んでスーさんの半生を知れば、そりゃそうだと納得する。
普通の人では経験できない修羅場をくぐり抜けている。
父と母。娘と父。男と女。向田邦子の世界。
太田さんがこの本を絶賛していたのも当然だ。
最後に、スーさんがさすがというかしたたかというか抜け目ないのが、この本の中にパートナーの方がほぼ登場していないところ。
まったく出てこないわけではなくチラッと顔を出す。言及する。気になる。
いつの日かパートナーと対峙する本も出版されることを期待せざるを得ない。
スーさんは弱さをさらけ出せる強い人。
スーさんの100分の1でも仕事に真摯に取り組むことが出来ればと切に思う。
もっと生活も踊らせねば。
帰省
実家に帰った。
片道一時間の帰省。
近いと逆に帰らない、ものなのかどうかは知らないが1年弱ぶり。
実家に帰って驚いた。
やることがない。
家族と話すことがない。
元々、家族同士深く干渉しないし、あまり関心を示さない家庭ではあったが、改めて思い知る。
ほかの家と比べるとだいぶ変わっているんだろうなと思う。
自分の部屋はもうないし、まったくもって居心地が良くないために30分もしないで戻ってきてしまった。
まあ家族の形なんて様々で、至らなさを指摘され、あれやこれや言われる方がたまらないから、これでいいと思う。
むしろこの考えが現状を生み出したとも言えるのかもしれない。
それでもいいや。
ただ、親と会うのもあと50回も無いだろうと考えると、これでいいのか、なんてことも考える。
収入もなにもかも足りない人間に出来ることはほぼないだろうし、はてさてどうしたものか。
かのみうらじゅさんは、親孝行はプレイだと思えば恥ずかしげなく出来る、というようなことを言っていた。
それができればいいのかな。
そういえば、みうらさんがとラジオとに出演した回がとてもよかった。
ラジオパーソナリティーとリスナーは、どこか親子のようだと思っていて、
子供は親が楽しそうにしているのを見るのが楽しい。さらにゲストも楽しそうで言うことなし。
おい、松之丞!こう言うことだぞ!!と言いたくなったとかならなかったとか。
お盆休みがないのは、こんな仕事をしているからで、自分で選んだから文句を言うなとの意見はごもっともかもしれませんが、それでも愚痴のひとつやふたつは言わせてほしいもの。
太田さんの件に対するコメントを見て思ったこと。
単独ライブが楽しみだ。
寝むみが強いときに書くもんじゃない。
梅干す
梅干しを作った。
思いの外よくできた。
まず素の梅を購入しジップロックに入れ塩分濃度20%になるように塩をまぶす。
そこに重しをして放置。
途中に水分と空気が出てくるため、空気は適宜抜く。
この間、部屋に梅のフルーティーな果物然とした香りが充満してた。
梅ってこんな甘い匂いするんだなと思う。
ここまで写真なし。撮っておけばよかった。
約一月後、三日続けて晴れる日を見計らっていよいよ干しの作業。日中にベランダに出し夜は部屋にいれる×3。
一日目。
梅酢から出したばかり。てろんてろん。すでに梅干し感あり。梅酢は塩の代わりに使ったり調味料として重宝している。
二日目。
軽く潮吹き。ぎゅっとしてきた。
三日目。
浮き出た塩が固まってかっさかさ。
取り入れて梅干しの完成。
ひとつ味見してみたが塩のジャリジャリが際立ちしょっぱ過ぎた。失敗したかなと少し不安になる。
ビンに入れて保存。
数日後には吹かれた塩も馴染んできた。
一応の完成した梅干し。
干した直後よりはるかにまろやか。市販の梅干しよりかなりしょっぱいけど、自分で作ったことに依るところが大きいのだろうけど、とても美味しい。
うまみがすごい…気がする。
長期保存で美味しさが増すらしいのでそれも楽しみだが、そんなに作ってないため今年中にはなくなってしまいそう。
そうめんのつゆに入れたり、おにぎりの具にしたり、種をちゅぱちゅぱしたり、猛暑が続く夏の塩分、ミネラル補給にぴったりだ。
想像よりも簡単に作れたので、来年も作りたいと思う。次は紫蘇梅を作ろう。
川本真琴は揺るがない
川本真琴のライブに行った。
これで4か5回目。
ライブに行く度に、目の前に川本真琴がいることが不思議でしょうがない。
毎回、中学生の時の自分に「将来お前は川本真琴のライブに行くことになるぞ!」と伝えたい気持ちになる。
郷愁やノスタルジーともちょっと違う上手く言い表せない不思議な感覚。
きっと自分にとって川本真琴は唯一無二の存在で、
そんな存在は川本真琴だけなんだと思う。
だから当時聴いていた曲はほとんど歌わなくても、行き当たりばったりに見えるようなMCを聴いていても、今の収入ではチケット代お高いななんて少し思っても、
あの歌声を聴くと、弾むように歌う姿を見ると、それだけでこみ上げてくるものがある。
全部ゆだねてしまいたくなる。
ライブで歌った新曲と思われる曲がとても良く、この先CDが発売されたらたぶん買うだろう。
しかし昔のように擦り切れるほど歌詞カードを見つめるようなことはしないと思う。
何度も何度も曲を聴き返すことも、開催されるたびにライブに行くこともない気がする。
それでも川本真琴は揺るがない。
そんなことを600円のミネラルウォーターを抱えて帰る電車の中で考えた。
マチネ
「マチネの終わりに」を読みました。
面白かったです。
以下ネタバレ含む感想を。
はてなの文章隠す方法わからなくなったのでそのまま。
未読の人、映画を楽しみにしてる人は見ない方がいいかも。
あらすじは天才音楽家と辣腕ジャーナリストの運命の恋と二人を取り巻くあれやこれや。
平野さんの本を読むのは初めてで、もっと難解なイメージを持っていたけど、思っていたより読みやすかった。
もちろん読めない漢字はたくさんありましたが。
そのもったいつけたような、まどろっこしくもきらびやかな修飾表現がインテリの二人を表すのにぴったりだった。
自分とは縁遠い、頭のいい人たちはきっとこんなことを考えながら生きているんだろうなと素直に思えた。
物語の中で二人は何度もすれ違います。
事前に「後半はアンジャッシュだよ」と聞いていたので、そのすれ違いっぷりにちょっと笑ってしまった。
見ても聴いてもいないので憶測ですが、たぶん往年のドラマ「君の名は」はこんな感じなんでしょうね。
すれ違いに次ぐすれ違い。すれ違いの連続。
それを通信技術の発達した現代でやるのは大変だったと思う。
まず距離を隔てる。
舞台は日本、フランス、イラク、アメリカと世界中。おいそれと会いにいけない。
次にそれぞれが置かれている立場での心境の変化。
音楽家として壁にぶち当たったり、イラクでテロに巻き込まれそうになったり。お互いに相手をおもんばかる思慮深さ。キャリアや年齢によるところも大きいのかもしれない。
そして物語のキーマンとなるマネージャー、フィアンセなど第三者の存在。
タイミングよく、いや悪く恩師が急病になったり、イラクの友人が亡命してきたり。
それらが絡まり合って、二人がすれ違っていく。
今の世の中じゃ愛する二人がすれ違い続けるためにはこれだけの設定が必要で、きっとミステリーのトリックを考えるように計算して書いたんだと思う。
アンジャッシュもそんな風に緻密にコントを作っているのかもしれない。
そのトリックの種明かし部分はちょっと雑だったか。でも良心の呵責に耐えかねて罪を吐露するのはリアルだと思った。
あとヒロインの洋子さんは父が旧ユーゴ出身の映画監督で母は長崎の被爆経験者、自分は戦地を取材するジャーナリスト、夫はリーマン・ショックの原因を作った経済学者って、いろいろ乗っかりすぎだと思う。
二人は紆余曲折を経て感動の再会を果たす。
そこで物語は終わるんだけど、まあスマートでオシャレ。
この小説が高評価を得ているということは、多くの人がこんな劇的な出会いを求めているということか、はたまた過去を振り返り「あの時ああしていれば…」なんて考えているのか。
いずれにせよ、好きな人がいるのに別の相手と結婚して子供まで作っておいて、やっぱりあの人が忘れられない!なんて恋愛が、
大人の恋愛だというのなら、大人には一生なれないと思った。
でも僕の脳内キャストは葉加瀬太郎と安藤優子、もしくは阿部知代だったので、それを超えられるかどうか。
これだけ感想が出てくるのだから、きっといい小説。
飲み会
カーボーイの飲み会にお呼ばれして参加しました。
けっこうな大人数で半数くらいの方が初対面というあまり経験したことのない状況に少し怖じ気づいてました。
初対面の人と話をすることがここ一年以上なかったこともその要因。
まあ終わってみればとても楽しかったのですが。
明るい人、おとなしい人、同じリスナーでもいろんな人がいるなと、
当たり前のことを改めて感じました。
初対面の人ともなんとか話が出来るようになったのは大人になったからなのか。お酒の力なのか。
大人数のため軽くしか話が聞けなかったのは残念なところ。でもたくさんの人に会えたのは貴重なので痛し痒し。
皆さんのラジオネームの由来とか聞きたかったな。
リスナーさんとはじめて会ったのはたぶん7、8年前でまだ20代。
今思えば若い。でも当時はもうけっこうな年齢だと思ってた。
きっとこんなことをずっと考えて老いていくんだと思う。
今回集まったリスナーさんは割と年齢層が高く、既婚者も多くてみんなしっかりした社会人だった。
これはカーボーイがそれだけ長く続いてる証拠だと30代半ばのフリーターおじさんは思い、自分の行く末を案じてクラッとしてましたよ。
番組に、皆さんに感謝して、最近ぬるっと聴いてたとこあるのでじっくり聴いて、
願わくは投稿も頑張ろうと帰りの電車の中までは考えていたんですけどね。
帰りの電車までだった。
最近お会いしてないリスナーさんにも会いたい。
いつかミセスチルドレン改めタキシードは風に舞うさんにも会いたい。
言い続ければ実現すると信じてる。
しーたんの由来が判明してうれしーたん。