フェイスブックはじめました

ツイッターやめてみて(正確にはまだやめてないけど)
だいぶ依存していたことがわかった。
ことあるごとに、ことないごとにまでいままでツイッターをチェックしてたんだなと気付きました。世間の反応というかなんというか。みんなどう思ってんだろうって逐一気になってて。かといってやめたからといって、その時間を有意義に使えるなんてことはまったくありません。
いままでぼーっとしていた時間にツイッター見ていただけなので、それがなくなればまたぼーっとするだけ。でもほんといままでこういう時間なにしてたんだろって思いますが、あんまり思い出せません。
もしかしたら余韻の時間だったのかも。映画見終わったり楽しいテレビみたあと、休み時間、電車の中。自分の頭の中で出来事を思い出して反芻するよりも、他人と共有、共感したいみたいな感情の方が今は上回ってんのかな。そうせざるをえないのかも。


情報過多ですからね。なんかいまでは音楽はCD買うんじゃなくて、一曲ダウンロードするんでもなくて月いくらか払って聴き放題が主流になってるみたいで。
そうなると膨大ななかから自分の好みを選びとらなくちゃいけない。でも正直それは自分だけでは不可能に近い。なので誰かがいいと言っていたり、ネットでもの買うときのようにこの商品を買った人はこんなものも買ってますなんて情報がとても重要になってくる。でもそればっかだとなんというか、とりあえず見とけ、買っとけみたいなことになってくる気がするんですよね。
自分で書いててよくわかりませんし、それのなにが悪いって話ですが、
あまりにも傾いて集中してしまうと評価ってものすごい難しいなと思いました。話題になったもの勝ちはどうなのか。


過多過多しすぎで疲れちゃう。過多過多過多過多。
あと自分の性格もあらためて露に。きっと死んじゃう時はきっちり身辺整理してからだろうな、所有するお気に入りの桃色映像はちゃんと処分するんだろうなとか。
まあ発作みたいなものなのでほとぼりが冷めたら、クールダウンしたらまたはじめます。つながっていたいんですぅ〜ひとりはさみしいんですぅ〜って人間なので。
脱皮。いや違う、やどかりのように家を変える感覚でアカウントを作っては消して作っては消して。でもやどかりとは逆で徐々にどんどん小さくなっていって。
それで誰からも見向きもされなくてもいいや。どうせひとりだから。




ブログもそのうち。