近況

シナリオを書く勉強をしている。


野球のルールを知っているからといってホームランが打てるわけではないのと同様に、シナリオの書き方を習ったからといっておもしろい脚本が書けるわけではない。今のところ学んだことはこれだけ。それ以前に書きたいことがまるでない。致命的な問題だ。先日放送されたNHK忌野清志郎×太田光の番組で太田さんは「物語を作って、それにメッセージを入れ込む」それが理想だ、というようなことを話していた。
メッセージがあったとしても物語を作ることは困難なのに、そのいちばん大事なメッセージが自分にはない。うすうす感づいてはいたがきびしい現実を目の前に晒されると思わず目をそらしたくなる。作者はなにを主張したかったのか、テストの設問に出されても述べることができない。
これでは確実にいつぞやのクリエイティブの作り手になろうと思い立ったが、持ち前の人見知りを遺憾なく発揮して、そのままフェードアウトしていった某養成所に行っていた時の二の舞になる。後悔はするけど反省はしない、自分はそういう人間だ。


話は変わって、石田徹也展に行った。
石田徹也の絵は少し愉快ですごく悲しい。世の中に対する風刺や批判が描かれていると言われているが正直よくわからない。そうも見えるし主題はそこにはないようにも見える。
初期の作品にはサラリーマンを題材にしたものが多く見られる。世の中への皮肉の対象としてサラリーマンをユーモアに描いているらしい。そのサラリーマンの顔は石田徹也本人の顔。その石田徹也の顔は他人の自画像だという。自分であって自分でない誰か。朽ち果てたイスと同化しているサラリーマンや廃墟の飛行機の遊具と同化したサラリーマンの作品等が今回の展覧会で展示されていた。それらを見て感じたことがある。それは、きっと石田徹也はサラリーマンに憧れを抱いていただろうということ。
石田徹也にサラリーマン経験はない。大学卒業後就職はしていない。たしか。作品を一見するとサラリーマンはとんでもなく悲しい存在だと思うかもしれない。ぶらぶら美術館という番組でサラリーマンが描かれた作品を見ておぎやはぎの矢作さんは、サラリーマンなんていちばん気楽な職業なのにねぇ、と感想を漏らしていた。僕もサラリーマン経験はない。就職はしたが長続きせず毎日決まった時間に満員電車に乗りきっちり仕事をして家に帰る、その繰り返しはしてないしできない。
社畜という言葉を自嘲ぎみに使うサラリーマンがいる。ツイッターなどで見かけるし、俺なんて社畜だからと話すサラリーマンはそこここの飲み屋でいっぱいいると思う。まっとうな仕事をしてない人間からすればその言葉には社会人としての自負や喜び、安心を明確に感じる、うらやましいとすら思う。でも自分はそうはなれない。
石田徹也にもこんな感情があったのではないだろうか。あの輪に入れたら、社会の歯車に組み込まれたら、会社員としてカテゴライズされたら、どんなによかったか。きっとそれが正解なんだ。でも自分はそうなれない。無理だ。会社員なんてやってられるか。なりたくもないわ。ふざけるな。そんな葛藤が作品に現れている気がしてならない。だから少し愉快ですごく悲しい。すっとんきょうな解釈。でも石田徹也は絵は見る人によると言っていたので、勝手にそう思うことにする。
晩年の作品(晩年といっても31歳で亡くなったのでまだまだ若い)はサラリーマンを題材にすることも機械や昆虫と人間が合体したわりとユーモアな作品もなく、ひたすら自分の内側をえぐるようなものになっていく。見ていてつらい、落ち込んでいる時に見たらどんどん引き寄せられてしまいそうな迫力がある。
展覧会に行って実際の作品を見て一番良かったことは作品のサイズ感を実感できたこと。緻密にディテールにこだわるからサイズが必然的に大きくなっていったのかとても大きい作品が多かった。これを6畳一間のアパートで描いていたと思うとため息が出る。もう一つ良かったことはもっと精神的に、気持ちが落ちる方にやられると思っていたけど、そんなことはなかったこと。せつない、つらいよりおもしろい、たのしい、なにより絵が上手いと思えたこと。展示されている作品はまだ一部で、もっと多くの作品を見たいし、亡くなっていなかったら発表されていたであろうその先の作品が見たかった。


石田徹也が亡くなったのは今の自分の年。6月生まれで5月に亡くなっているので、まさに今この時期ということになる。どんな思いで最期をむかえたのか、もっと注目を浴びていたら今でも絵を書き続けていたのか。想像するしかない想像してもしかたがない想像せずにはいられない。亡くなった後、彼の家からは未発表の作品が数多く見つかったそうです。


描き続けた石田徹也に書くこともままならない自分が共感することは許されない。
でもならばそれでも。